怪しい広辞苑258「広辞苑第七版、再び一太郎の危機か?」

 優秀かつ利用者第一のワープロソフト「一太郎」が再び「広辞苑」と合体した。これは「一太郎」の危機となるのか?
 折角、広辞苑と切れていた「一太郎」が、またもや「広辞苑」とセットになった理由は何だろう。それは1万語増えたという見出し語の多さに価値を感じたからなのだろうか。それとも、さすがに「第七版」ともなれば、これまでの膨大な不具合を修正してくるであろうという、常識的な判断がはたらいたのだろうか。
 問題は岩波書店側ではなく、ジャストシステム側にあるのかもしれない。年々完成度を増し、無限に改善されていく「一太郎」は、バージョンアップしたものを毎年購入しても価値がある。しかし、業績はどうだろう。ここはひとつイメージを刷新しなくてはならないだろうという現状があったのではないか。
 何かインパクトのあることをしなくてはならないという判断とともに、何はともあれ、最新の国語辞典を搭載するという単純明快な判断基準によって選択されたもの、それが「広辞苑第七版」だったのではないだろうか。
 しかし、最新版だからといって、われらが「広辞苑」は油断がならない。ネームバリューに基づく出版インパクトはあるが、残念ながら「見出し語の選択の問題」と「表記の問題」と「膨大な誤った説明の問題」と「膨大な不適切な説明の問題」という多くのネックを抱えている。
 これまでの版の重ねかたを振り返るにつけ、一万語も増えたのだから、その不具合もその分だけ増えたと考えてもよさそうな気がしてくる。こうした困った存在感が僕にとっては魅力なのだ。だから、直ぐに購入しようと思う。
 そもそも歴代「広辞苑」の編集の間違いは、専門家の監修を十分に受けていないことによると考えられる。新しく世の中に流通するようになった語を見出し語として載せるのは当然のことだが、新しいものであるだけに、慎重な説明の仕方が必要で、そのための「使われ方調査」や、「専門家の説明の調査」が重要だ。特に後者は、万人向けに、しかも少ない文字数で誤解なく説明する必要があるために、再度、しかも複数の専門家に確認しなくてはならない。
 有名な専門家は忙しくて、十分に目を通さないおそれもある。名前だけで下請けに出している可能性もある。お互いに疑いの目をもっている間柄ならよいが、その下請けがお仲間だと、遠慮し合ったり、依頼し合ったりで、結局は十分に検討されなかったりするおそれが大きい。
 これは大丈夫だと思って専門家のチェックを受けない場合だってある。編集者の常識が専門家の常識とは限らないからだ。
 第七版はこれまでも鳴り物入りの感じがするので、僕がいちいちチェックしなくても、誰かが気づいて話題にするだろう。一語でも極端な不具合が見つかれば、氷山の一角だ。一事が万事。これまでのように中ぐらいの不具合や、小さな不具合が、増えた一万五の中にも多く見いだされるに違いない。
 もっとも、気になるのは従来の見出し語の説明がどのように変化しているかだ。大幅に改善されたものもあれば、少し改善されたものもあるだろう。そのチェックはしなくてはならないだろう。難儀なことだが仕方ない。岩波書店も、少し前のホームページを見る限り、利用者の皆さんとともに広辞苑も進歩していきたいと、随分と謙虚な態度に変わってきている。あの昔の態度とは随分な様変わりをしたものだ。それに付き合ってもいいよという人も何人かはいるはずだ。
 ただ、それを文字にしてしまってはあまりにも権威がないという感じがしてしまう。そのようなことで購入者が増えるのだろうか。そうしたこともあって「一太郎」と合体したのだろうか。過去の栄光を持つ者同士が手を組むという形に見られるのは、「広辞苑」ファンとしては悔しい気持ちがする。
 次に気になるのは、この十年、二十年と意味が変化してきているものもあるはずだが、それも加えられているだろうかということだ。しかも、どの程度の定着度があるかを判断しなくてはならないところなので、非常に神経を使うところだ。「広辞苑」に乗っているから、という理由で、それほど定着していなかった意味が、新たに定着し始めるという現象だってある。
 これが甚だしくなると、意味の混乱につながる。その混乱に至る、何でもないように見える変化の第一歩を、何気なくやってしまっている可能性がありはしないかという心配をするのだ。
 逆に、新たに定着した意味を追加しないという誤りもある。これはこれで混乱を来す。「広辞苑」に乗っていないからな、という判断によって、折角定着した新しい意味が消えていく道をたどることにもなりかねないからだ。
 命の短い語、定着する語、消滅する語、いろいろある。命の短い語のはずが定着することもある。だとしたら、「この十年で使われるようになった語」という「付録」を一万語だろうが二万語だろうが巻末につけ、新語はそこへ収録したらどうだろう。新しい版が出るごとに、その付録を見て、「ああ、第何版の時代に流通していた語だったのだな」と確認できる。「では、次の版ではどうだろう。ああ、次の十年で定着し、本編に組み入れられているじゃないか」と確認できる。
 何なら「絶滅危惧語」や「絶滅危惧意味」をマークするのもよいだろう。
 さて、「広辞苑第七版」の不具合を見始めるとしようか。手のかかる子はかわいいものだ。たぶんそれは人を飽きさせないからだろう。
 まず、買わなくては仕方ない。売れた「広辞苑」の何パーセントかは、間違い探し等の目的で購入されたものだと思う。誠に有り難い利用者ではないか。
 その結果によっては、「一太郎」の危機ともなりかねないから、一つも見逃さないようにしたい。
 
 
 

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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