日々雑感359「カムイ伝」第三部がそろそろ

 名は人も知る「カムイ伝」だが、第三部がそろそろスタートしてもよい頃合いではないだろうか。単純に第一部と第二部の間の十数年間を考えると、その年回りになってきたのではないかと思うのだ。
 あの大作を途中で終わらせるのは、漫画界にとって大きな損失だ。「カムイ外伝」の一部分が映画化されたこともあるが、「カムイ伝」の映画化は困難だろう。映画化は不可能ではないが、映画には向かないストーリーだからだ。どうしても地道に巻数を積み上げていくしかないと思うのだ。
 第三部まであることは、第一部で述べられている。だから、構成は既にできあがっていたはずだ。ところが、登場人物の設定やセリフは、作者の手を離れていくものだ。長編になると、作者から独立して登場人物が生きて動き始めようとするのだ。作者はそれを負う形になりそうになる。
 作者は作品として統一感のある展開を試みるものだ。しかし、登場人物に魂が宿り始めると、作者が思っているようには動くとは限らない。登場人物が多くなればなるほど、時間の流れが長くなればなるほど、その傾向が出てくるはずなのだ。
 作者の予定が崩れていくのだ。登場人物と場が織りなす展開の中で、新たな登場人物が必要とされるようになったり、伏線でも何でもないものが、伏線の意味を持ち始めたりと、コントロールが利かなくなっていく。しかも、既に発表した分については変更することができない。
 できあがってから小出しに発表するのならばよいが、長編ともなると、そういうわけにもいかない。こうしたことから、第三部の発表はもっと時間がかかることになるのかもしれない。
 話は完結しなくてもよい。テーマが表現できればよい。締めくくりができなくなると、そうした誘惑もわいてくる可能性がある。実際の世の中に締めくくりなどないからだ。世の中を表現しようと思ったら、下手に締めくくれなくなるのだ。締めくくれるとすれば、人の一生涯としての締めくくりであったり、事件の解決であったりと、限られてくる。
 ところが、群像で表現していくしかないものを、事件を絡めて表現していくと、収拾がつかなくなる。そう考えてみると、「カムイ伝」を三部作とすると明言したのを撤回したほうがよいのかもしれない。作者も白土三平氏から世代交代してバトンタッチを繰り返しながら、営々と巻数を積み重ねていく、「長編漫画」ならぬ「超長編漫画」になったらどうだろうか。
 「カムイ伝」という歴史の流れを、現実の歴史に沿わせていくのだ。江戸時代前期から後期へ、幕末から明治、そして大正、昭和、平成へと、いくつもの「カムイ」や関わる人々の姿を描き出し続ける。何部作ではなく、全部で一部作だ。もちろん、必要に応じて様々な「カムイ外伝」を派生させてもいいだろう。
 何にしても読者は気楽だ。作品を待てばよいのだから。 

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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