日々雑感360「忖度の意味がいろいろになる」

 最近、「忖度」の意味がいろいろになってしまった理由が以下の記事を例としてわかってきそうな気がする。

毎日新聞 2018/3/10(ネットニュースより引用)
 学校法人「森友学園」への国有地売却を巡り、財務省が決裁文書の書き換えを認める方針を固めたことについて、文部科学省の前川喜平前事務次官は10日、岐阜市内で報道陣に「(書き換えは)政治へのそんたくだろう。無理なことを役人は自発的にするはずがない。何らかの政治的な力が働いている」と述べた。佐川宣寿国税庁長官の辞任には「辞めるなら、もっと自由に発言したらいい」と語った。

 「そんたくだろう」と述べつつ、「自発的にするはずがない」と述べる。誤解を受けやすい言葉の並びだ。しかし、こうした物の言いもあり得ないわけではない。しかし、まだ言葉を習得する過程にある人々が耳にすると、「忖度」という単語の理解において間違いが起こる可能性が高いように思う。
 「忖度」は、「相手の気持ちを推察する」ということだから、元来「自発的なもの」だ。ところが、この発言を素朴に読み取ると、「忖度」は「自発的なもの」ではなく、「外力によってなされるもの」であると感じてしまう人々が案外と多く出てくるのではないかと心配される。
 具体的な命令なり指示がなければ、書き換えなどできないからだ。公文書を書き換えなどという犯罪を「推察」などではやれない。第一、その「推察」が意にかなったものであるかどうかは非常に重要なことだ。政治的な力がはたらいていると仮定するなら、その筋の確認が入るはずだ。従って、役人側の「推察」というレベルの仕事ではないはずなのだ。つまり、忖度などではないのだ。
 元来、「忖度」は、「直接に外力が発動される前に、その思いや気持ちをこちら側で自発的に慮って行動し、外力がはたらく状況をつくらない」ためのものだろう。命令する立場にある者の意を酌み取って、命令されなくとも「自発的に」判断して行動するのだ。
 だから、この発言でいうところの「何らかの政治的な力が働いている」というのも、間接的に、あるいは結果としてはそうなのかもしれないが、「忖度」である以上、「直接、書き換えるような指示があったわけではないはずだ。
 もっとも、忖度をはたらかせたのち、たとえば「書き換えた方がよいかなと自発的に推察して書き換えた文書を幾つか準備し、このような書き換えをしてみましたがいかがでしょうか、最もよいものをお選びください」というような書き換え内容の確認と、上司に選択させるという保身のための保険の確保は、役人なら必ずしたはずだ。問題が問題だけに。
 この発言は、短い表現でなされているために、単語の意味合いに誤解が生じやすい。しかし、それは発言者の責任ではない。言わないことを書いては、それこそ書き換え問題だ。
 文章による回答なら、このような表現にはならなかったはずだ。今回はたまたま短い記事であっただけの話だが、発言だけをそのまま引用するのではなく、発言内容に対する補足説明や解説をもう少し加えたなら、単語の意味合いを誤解することも防げただろうというケースであるように思う。
 この記事の末尾に執筆者の名前が付いていたのだが、ここに引用するときには省いた。これは今回は執筆者の名前を引用する意味ないから省こうという、僕の忖度だ。

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