恐怖シリーズ267「選手の意味が」

 「選手」という言葉の意味がおかしくなっていると錯覚しそうな場面をテレビ番組で発見した。
 とあるテレビ番組で「伊調馨さんは選手なんですか」という至学館大学の学長の記者会見での発言に対して、「よくもこんなことがいえたもんだ」という意味合いの発言があった。女子レスリングの強化本部長による伊調馨さんに対するパワハラ疑惑を払拭しようという人物が開いた記者会見に対する、テレビ番組司会者やコメンテーターの反応だ。
 だが、どんなに活躍した人でも、特定の大会に出場するために選ばれてなければ、その大会の選手ではないのだ。至学館大学の学長の発言の「選手なんですか」という部分だけを取り上げたら、確かに「よくもこんなことがいえたもんだ」という意味合いの発言が出ることもあろう。しかし、話は最後まで聞かないといけない。最後まで話を聞けば、「よくもこんなことがいえたもんだ」という発言こそ、「よくもこんなことがいえたもんだ」級の発言だ。なぜ、「選手なんですか」という発言がなされたかということと、「選手」が本来の意味で使用されていることが、番組内で話題になるようでなければいけなかったのだ。言葉、特に日本語は場に依存した言語だ。その「場」、その「場」の分析が下地にあって理解される言葉だ。言葉で勝負するマスコミ人は、その「場」を、単に記者会見の場というような、ざっくりした捉え方をするほど、無神経ではないはずだ。
 話は意を酌みつつ聞くという基本的な姿勢がないといけない。特に問題とされている発言は、記者との質疑応答の中でのものだ。そのやり取りの中で捉えなくてはならない発言を、ピックアップし、大活躍した選手に対する言葉ではないという、ピント外れな発言が出てくるのは仕方ないとしても、それを出しっ放しにして次に進めてはならない。
 なぜなら、それはテレビ番組だからだ。テレビ番組は、途中から視聴する人も多いのだ。そして、最後までは視聴しない人も多いのだ。新聞のように後で見直すということは、ビデオを使えば可能だが、そこまでする人はほぼいないと見ていいだろう。
 しかもテレビは、その場で消えていく音声と、実際の音声の言い方に少し手を加えたものを数秒程度だけ示す字幕で伝えるしかない。近年は、どの番組もフリップを多用して文字化された情報を視覚に訴えるけれども、結局断片的なものを、示したいときに示すために映しているだけだ。それがテレビの限界だから仕方ないといえば仕方ない。だから、視聴者は記憶に頼るしかないのだ。
 さらに、その記憶たるや、基本的には一度きりの視聴ゆえに、甚だ怪しい。番組の編集で印象づけられた方向にしか記憶できないのだ。しかも、記憶して思考するかというと、それは困難だ。思考努力しようとしても、見切り発車のように次から次へと情報を繰り出してくる。把握しかけたときには、もう話題が変わっている。
 だから、テレビ番組では滅多なことを、その場の感情で言いっ放しにしてはならない。Aという反応を示すコメンテーターがいたら、逆のBという反応を示すコメンテーターがいることが大事だ。そして、それぞれの根拠を述べることが大事だ。一斉に一つの方向に向かって反応する姿勢を、多くの視聴者に見せるのは危険だ。
 それは、国民感情を煽る結果となる。国民認識を一色に染める結果を招く可能性を高める。それは見ていて面白い。見ていて心地よい。だから、危ない。危ない道に導かれる危機感を敢えて持って発言しなければ、きっと大きな過ちを犯す外堀を自ら埋めていく作業を、周囲が許していくことになりかねない。テレビという優れたメディア機器が秘めている両刃の剣は、恐ろしい結果も知らぬうちにもたらすおそれが大きいのだ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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