恐怖シリーズ271「囲まれる」

 「囲まれる」ということは、こちらが一人の場合、少なくとも相手が三人以上いるということだ。これは既に多勢に無勢だ。
 その場合、単純な戦闘結果は、ランチェスターの法則で算出するまでもなく、こちらが一人である以上は無視してもよい。相手が素手、こちらが催涙ガスとか拳銃のような飛び道具を持っているという状況であれば、勝機がないわけではない。
 しかし、囲まれたという心理的なストレスで萎縮し、持っていた武器も十分に使えないどころか、奪われて逆に襲われる可能性もある。破れかぶれで暴れても、二人で押さえつけられ、残りの一人で攻撃されれば、勝機はないに等しい。
 囲む者が普通の人間で、しかも同年齢、同じ攻撃能力であっても、相手が三人なら勝ち目はほぼない。一人一人順番に襲ってきて、その間に休憩でもあれば、もしかすると低い確率で勝つことがあるかもしれない。
 しかし、囲む者が最初から囲んで襲うことを目的としていた場合、不意に襲われ、状況をつかむことから始めなくてはならない被害者としての一人は、孤軍奮闘するチャンスさえ与えられないのが普通だろう。
 これが人間でなく、野犬などの動物であれば、さらに情け容赦はない。金品を与えて逃れるという手は通じない。餌で逃れることができるかもしれないが、普通は食べ物などを持ち歩いてはいない。
 これまで人間や野犬に囲まれた経験は何度かある。しかし、どうやって切り抜けたかあまり覚えがない。犬が野犬なら、人間は野人というわけではないが、その時には野人と向かい合うという気持ちにはなる。
 幸いなことに、金品や食べ物でごまかしたり、土下座したり被害を受けたりということもなかった。野犬数匹に囲まれたときも、暴走族や妙な思想かぶれの連中に囲まれたときも夜だったから、夜には注意したいものだ。野犬以外は、どの集団も最後には「事務所来てもらおうか」と迫ってくるのだが、あれはどうしてなのだろう。一体全体、どんな事務所なのだろう。そして、どんな事務を執っているのだろう。ついていったことはないので、わからないが、今思えば随分と冷や汗ものだ。
 しかし、何が怖いといって野犬に囲まれるのが最も怖い。瞬間に噛みついて瞬間に引き下がる奴、噛みついたまま話さない奴、いろいろだからだ。手を咬まれたり頸を咬まれたりするへまをするようでは話にならないが、必ず足は咬まれる。すねの骨などには必ず牙が当たるし、当然のことながら流血したりする。野犬でも野人でも、どんなことがあっても倒れることは禁物だ。
 野犬の場合、狂犬病は日本にないとは聞くが、どんなばい菌が入るかわからないので、直ぐ消毒するに越したことはないだろう。
 以上は、目に見える形での「囲まれる」だ。だが、目に見えないものに「囲まれる」こともある。それは、目に見えないだけに、周囲や自分の周囲の変化に鈍感であれば、囲まれていること自体に気づかない。その場合、どうしてこうなるのかという原因がわからずに首をひねることが次第に増えていくばかりだ。
 運が悪いのだと自分に言い聞かせることが多い人は、そうした目には見えないものに囲まれている可能性を考え、少し見る目を変えて周囲を見わたした方がよいだろう。もちろん、自分を囲んでいるものの正体に気づいたときに感じる恐怖は覚悟しておくことだ。
 ただ、そうした種類の恐怖を感じなければ、気づかないふりをしながら対策を立てて、思わぬタイミングで包囲網を寸断するとともに、足下をすくって素知らぬ顔をしているという芸当は不可能なのだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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