恐怖シリーズ280「土俵で挨拶したい人」⑦

 一般人は一般人としての礼儀を尽くす。特殊人という言い方はないが、特殊な文化を持つ人は特殊な文化を担う人としての礼儀を尽くせばよい。
 もちろん同じ国民である以上、共通の文化ももっている。大相撲の興行という接点で、一般人と相撲人という特殊人と言ってもよいかどうか分からないが、双方が結びつく。だから、その底に流れているはずの共通の文化にのとって動くべきだという考えに立っての、相撲協会を叩く内容の挨拶をしたのだろう。
 おそらく、その時は相撲協会が様々な事件に絡んでメディアに叩かれていたという背景があり、世の中の大半の人々が、いやメディアは、相撲界を叩く方向にあるという認識にあったのだろう。メディアが後ろ盾にある、イコール世の中の大半の人が同意してくれる、そうした読みがあって「やってしまった」挨拶であろうと想像するがどうだろう。
 相撲協会を叩くことに同調することで、メディアの力を活用し、自分が屈辱と感じたことの意趣返しという色彩がでないように、個人の気持ちをもとにしながらも、歴史的に一般化されてきた社会問題のテーマの一つである男女差別の解消、それは誰にも否定されることのないテーマだが、それを錦の傍に掲げたように見えた。
 これは僕が男だからそう思うのだろうか。僕は男女差別を駆逐する立場にあるにもかかわらず、今回はありがた迷惑に感じたのはなぜだろう。僕が相撲ファンだからだろうか。いや、相撲のテレビ中継を見たことはあっても、見ようとしてみたことはないから、相撲ファンではないだろう。だから、とても不思議な感じがするのだ。 
 「みんな違ってみんないい」やり方や考え方や文化や言葉は異なっているのは当たり前。それを理解して愛するという気持ちが美しいと思う。だから、そうした意味では今回は美しくない挨拶を見聞きしてしまい、相撲ファンならずとも、さすがにがっかりしたのだ。
 言われている相撲協会にがっかりしたのは勿論のこと、言った市長という立場にもがっかりしたのだ。相撲協会が、相撲取りという怪力の大男、強いもの象徴で、市長が市民を代表する立派なもの象徴だとしたら、その強さや立派さの象徴を両方を一気に汚された感じがするのだ。
 一般人とは言え、市の代表者だ。この場における一般人の代表者としての行為としてどうかということが評価されなければならないだろう。それを思うにつけ、市長という役職を担う者の資質というものは、どのようなものであるべきかと考えてしまったのだ。とにかく、どのような信念、どのような意図があったにしても、方法がいかにもまずいのではないかという感想しか今のところ持てていない。世間ではどう言われているのだろう。少なくとも「よくぞ言ってくれた」という声は今のところ一つも耳に入ってこない。
 今後、相撲協会がどう反応しようが、かの市長がどう問題を展開しようが、そんなことは全くどうでもよい。事は全てメディアがこれからどのように扱っていくかにかかっている。相撲協会をさらに叩く材料としてちくちくと話題に出すのか。かの市長がかかわる男女差別問題解消のステップをドキュメント番組にすべく、取材を重ねていくのか。あまりよいニュース素材ではないと判断し、フェードアウトさせていくか。その態度によって世間の気持ちはどうにでもなっていくだろう。
 そこが恐ろしい。メディアの取り上げ方一つで、意識が変わってしまう。変わった意識は、これまでとは異なった判断をもたらす。異なってもよいが、それが誘導されたものであるところに問題点があるのだ。異なる判断は、異なる行動につながる。異なるべくして異なれば、問題はない。
 問題は誰が何のために、そのように誘導したのかということだ。その過程で一般市民が話に加わることは一切ないはずだ。つまり、メディアのやっていることは、実に不透明なのだ。表に出している部分は、もしかすると出し過ぎで逆に弊害があるように感じないでもない。表に出してない部分は、限りなく不透明だ。いや、闇と言ってもよいかもしれない。
 何しろメディアの匙加減一つで、相撲協会を衰退させたり、かの市長を先駆者として祭り上げたり、いろいろとできる。それは非常に恐ろしいことだ。情報の収集活用能力を駆使し、決して叩かれない特権階級的存在を、自らの演出で築き上げてきたメディアの実績というものは、ある意味素晴らしいものだ。ただ、情報に敏感であるはずのメディアが、いつの間にか裸の王様状態になっていることもないわけではない。そうなっていないと信じたい。確認する方法がないので、信じるしか手がないのだ。
 大袈裟に言えば、メディアが民主主義の守り神となるか、民主主義の敵となるかだ。今回のようなことからも、そうした心配をしなくてはならないとは。それは、もうメディアの受け手がそう思ったら、そうらしいのだ。これが、現代日本の実態なのだろうと思うと恐ろしい限りだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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