変な疑問218「五輪の塔の不思議」⑯

 ここまで触れてきた「遺体」に抱く様々な思いとは別の問題が「遺体」にはある。
 まずは、事件性の有無だ。通常の成り行きで「遺体」となったのではない「遺体」がある。事件の被害者だ。中でも身元不明の「遺体」が困る。
 名前が分からねば、「遺体」というよりも、ただの「死体」だ。誰か分からないからだろうか、「お死体」とも「ご死体」とも呼ばれない。これは「遺体」が「ご遺体」と呼ばれるのに比べて、意識において大きな差異がある。
 言葉の上でも「死体」が「遺体」よりも冷たい目で見られていることを表している。「死骸」も「死体」と同様、同じ憂き目に遭っている。「お死骸」とか「ご死骸」とは言ってくれない。
 ただ、「遺骸」という言い方もある。「遺骸」ならば、「死体」や「死骸」よりも何となく丁寧な扱いを受けられそうな気がする。それは一体全体どういうわけだろう。
 それは「死」という直接表現がなされていること自体、既に敬意の対象から外れていることが示されていることになる。一方、「遺」という表現は、死んだ結果「遺す(のこす)」ということだから、「死」についての婉曲表現ということになり、「遺」には、敬意の対象として既に認められている存在であることが示されていることになる。
 ところが、敬意を払われる対象であるにもかかわらず、「お遺骸」とか「ご遺骸」とはならないところに、「遺骸」特有の位置づけがあるように思われる。恐らくは、「骸」に問題があるのだろう。
 「骸」は文字の意味合いを表現する部分に「骨」が使われているよう形声文字だ。これは多分だが、元々は死体の「骨」をイメージしたものだろう。「骨」のイメージだから、既に何らかの処置がなされた後の「終了した遺体」とか「用済みの遺体」、あるいは、何らかの理由で放置された「厄介な遺体」とか「邪魔な遺体」、そうしたいろいろな意味合いを醸している漢字に見える。
 そうした意味合いを持っている漢字であることから、敢えて「お」や「ご」を頭に付けた語として成立しないのではないだろうか。
 もっとも、「遺体」の「体」の方も、実のところ元々は「體」で、「骨」のイメージが強い漢字だった。だから、「遺体」に「ご」が付き、「死骸」に「ご」が付かないというようなことは、略字の「体」を使うようになってからの感覚でなされた使い分けなのかもしれないと思う。日本で使用する漢字が、旧字体から新字体に変わったのは、先の世界大戦後なので、かれこれ70年以上も前のことになる。
 もしかするとの話だが、大戦前に新字体に変えていれば、旧字体で時間をかけて画数の多い漢字を書くという事務時間の無駄が省かれ、戦中の戦況、戦後の処理など、多少は様子が違っていたかもしれない。考えすぎだろうか。文章作成ソフトで書くわけではないのだから、そのロスは計り知れないことは確かだ。
 何しろ、昭和の時代はカーボン紙全盛で、少なくとも先の世界大戦時には事務コピー機は存在しなかったはずなのだ。命令書が回るまでの時間は、今から考えると相当の時間だったのではないか。 
 戦後直後に、こうしたことも含め、日本が負けたのはなぜかという論議がなされたに違いない。その中の一つに漢字の使用が挙げられたのは想像するに難くない。また、アルファベットで書くのと、漢字で書くのとどちらがどれだけ早いか。英文タイプライターで打つのと、和文タイプライターで打つのと、どちらがどれだけ早いか。そんなことも大真面目で比較したかもしれない。
 実際、戦争に負けた原因の一つに、文の意味が文末でやっと決定される、およそ有事には間尺に合わないタイプの言語である日本語を使っていたことが挙げられる、などという話も出たそうだ。
 しかし、それは裏を返すと、そんな日本語を育てて使ってきた日本人は、平和を愛する国民、決して好戦的ではない国民、和を以て貴しとなす国民だったことの証拠ともなりそうだ。
 一文を話しながら、その一文を言い終える寸前まで相手の反応を確認するタイプの言語であるに違いない。その間に忖度し、思いやるのだ。
 相手の反応によって、文末の結論自体や、文末の結び方を勘案し、おもむろに一文を終える。そうした言葉を発展させてきたのが日本人だろう。
 相手の反応を見ながら、一文の最後に必要と思われる助詞や助動詞を検討し、一文が終わる土壇場で「です」とか「よ」とか「ですよ」とか「かな」とか「ぞ」とか「ね」とか、終わり方をどうするのがベストか瞬時に判断するのだ。そんな芸当をやってのけることができる仕組みになっている言葉という見方をしてもよいと思う。
 極端に言えば、肯定文を述べるはずだったのに、相手の反応を観察した結果、一文の最後の最後で、否定文に変更することだって可能なのだ。文の最初で肯定文か否定文が決定するタイプの言葉では困難だろう。 
 ある意味で思いやりがあり、ある意味ではずるい。そうした、トラブルを避ける知恵をはたらかせる余地のあるような文の組み立てのスタイルを培ってきたのは、国民性というものが存在するとするならば、その国民性であろうし、また一方で日本語がその国民性を養ってきたとも言えるかもしれない。
 礼を失したり、相手の気分を害したりすることで生じるトラブルを未然に防ぐという、保身の知恵が言語として結実したような日本語を操りながらの戦争は、少しずつ判断のずれによる失策や、伝達の遅さ、会議の効率の悪さなどの蓄積が悪影響を与え、不利なものとなっていったかもしれない。そうした評価が下されたとしても、強ち変だとも、極論だとも思わない。その通りであるように思う。
 真偽はともかく、様々な論議がなされる中で、漢字問題も出されていったと想像される。
 文の最後にやっと意味が分かるような日本語を何とかしなければ。いっそのこと英語にしてしまおうか。いや、それでは昔の日本の書物が読めなくなるではないか。では、英語のようにするすると一筆書きの如く記述できる文字にしたらどうか。もしかすると、草書体を基本とした書体を新しく考案すればよいかもしれない。いや、それは文字を習得する幼少の子供にとっては難しい文字となってしまうだろう。では、漢字の画数を少なくして、スピーディーにお書けるようにしたらどうか。等々。
 漢字を略字にし、学びやすく早く書けるようにしていこう、そうしないと英語が母国語にされてしまう、そんな危機感もあったかもしれない。もっと言うと、昔の教育は間違っていたのだから、新字体に変えることによって、旧字体の時代の書物や資料を非常に読みにくくしてしまえばよい、そうすれば新しい人たちが昔の思想に触れにくくなるというような、陳腐な目論見もおまけとしてあったかもしれない。
 実際、戦前の書物は読めない漢字が膨大に出てくるため、新字体、現代仮名遣いで再出版されたものしか読まれることはほとんどない。そのように再出版されるかどうかという篩いにかけられることで、文化や思想の途切れが生じているのは確かだ。
 古典とされるもの以外の再出版が極端に少ないのは、逆に言うと、何を古典として戦後に残すかという意図的な選択判断がなされた可能性を想像させるものだ。
 さて、「物」以下の扱いとなった「死体」や「遺骸」の類、つまり、「厄介なものとしての扱い」を死後に受けることになった人、そうした人々は毎年腐るほどいる。腐るほどというのは比喩ではなく、放置すれば実際に腐ってくるものだ。孤独死を恐れるのは、自分の腐乱死体を誰かに見られることも含まれている。そして、本人確認が困難なために生じる様々な不都合も含まれている。
 誰の「死体」であったとしても腐る。それは基本的に「死体」というものが「厄介なもの」として認識される大きな理由の一つだ。「遺族」あっての「遺体」ではあるが、本当のところは、「遺族」の有無にかかわらず、実際に「恐ろしくて、しかも厄介なもの」となる可能性が高いものなのだ。
 血で血を洗う戦争が続く時代は特にだ。「ご遺体」ならぬ「死体」は、本来は大方「物」以下の扱いで、しかも闇から闇へと処分されてきた歴史を持っているはずだ。
 たとえどんなに美しい「死体」でも、身元不明であると弔いにくい。しかし、弔うということになれば、「名もなき遺体」となる。
 すると、本来は「遺体」に込められているはずの恨みに具体性がなくなる。具体性のない恨みは恨みとしての凄みに欠けるものの、恨みの正体が不明であることによって、逆に手の打ちようがない厄介さが生まれる。しかし、結局は通り一遍のお経でも上げるしか方法はない。適切な対応がとれないのだ。
 たとえ「幽霊」として出現し、目の前で「うらめしや」と言われても、何のことだか誰も理解しないだろう。
 初めて見る「幽霊」に最初は驚きはしても、ただ「うらめしや」と言われてもどうしてよいか戸惑いが生じるため、もう少し引き留めて問い詰める必要が出てくる。何とも面倒な気持ちになるだけだ。しかも、返答はおよそ望めない。
 おまけに驚きや戸惑いの気持ちで狼狽している間に、すっと姿を消してしまえば、再び呼んで都合よく出てくるものでもなさそうなだけに、途方に暮れるしかないだろう。
 どうしても「うらめしや」だけでは相手次第の解釈に委ねる感じが強くなってしまう。そこには「幽霊」独特の一種の狡猾さがあり、不届きなやり口だとも言える。
 もし、「幽霊」が口上を語り始めたときには、無闇に逃げたり恐れたりするのではなく、謙虚に耳を傾ける必要があるだろう。それは対策を立てるためだ。
 しかし、その語りに対する質問や反論を「幽霊」も受け入れなくてはならないだろう。それができないようなら、最初から「幽霊」として出現すべきではない。コミュニケーションがとれないようでは「恨めしい気持ち」の解消をしてやることもできないからだ。「幽霊」だけで遺恨が解消されるなら、敢えて出現するまでもないだろう。そこに「幽霊」の矛盾がある。
 ただし、幽霊に鼓膜があるかどうかだ。音で聞かせているのではなければ、こちらの返答も音ならぬものでなさなければ、「幽霊」には伝わらないだろう。
 元より一方通行の伝達能力しか持っていない存在かもしれないが、それならそれなりの対策を講じるしかないだろう。
 昔の人にとって、一般的で具体性のない「うらめしや」に象徴される曖昧な恨みは、他のそうした同類の曖昧な恨みとの相性が良く、寄り集まって一つに凝り固まると考えられても不思議ではないだろう。
 具体性がないために凄みに欠けていてたとしても、ブレのない強力な恨みとして、他の似たものとともに雪だるま式に成長すると考えられていたとしても、これもまた不思議ではないだろう。
 どのような状態の「幽霊」にどのような対応をすればよいのかは、また考えておかねばならないだろう。作戦は、ありそうにないことまで想定して対策を考えるものだ。作戦をどれだけ持っているかで、安心感のある人生を送ることができる。余裕の心は作戦の多さの賜だろう。
 それにしても、このような、ただ「幽霊」というだけで、具体的な名前のないもの、また主張に具体性が欠けるもの、そうしたものに対処するのは困難だ。無視するか、適当にあしらうか、逃げるしかない。しかし、せっかく出現した「幽霊」に対して、それではあまりに誠意がないというものだ。
 だから、名前が分からない場合には名をつける必要が出てくる。妖怪や化け物や「幽霊」など、ともかく名無しでは対応しにくい。情報の共有すらできないのだ。もし、ストーリーを背負っているなら、それなりの対応を工夫することもできるだろうが、名づけられていないようでは、呼び出すことも、説得することも、懲らしめることもままならない。
 もしかすると、戒名というものも、蘇りの防止とともに、そうした理由からつけたのが遠い遠いルーツであるかもしれないと、ふと思う。
 さて、身元不明の赤の他人の「遺体」と、身内の「遺体」と、どちらが怖いだろう。どちらを弔いやすいだろう。
 それは身元不明の赤の他人の「遺体」の方が怖くはないに違いない。人間関係が自分との間にないのだから、自分に対する恨みは少なくとも無いだろうという理屈が頭にあるからだ。
 したがって、葬式は自分に関係の深い「遺体」ほど手厚く行い、もし放置されていれば、コントロールを失って不安定なものとして彷徨うことになったであろう「魂」を、そうなる前に予め無難で効果的だと共通に認識されている方法によって、つまり葬儀によって、予め沈静化対策を施すのだと思う。勿論、これは人の気持ち、そして人の気持ちの処理の問題なので、人がロボット化するような未来が訪れたら、その時には全く不要なこととなっていくだろう。
 ただし、「死体」は「死体」でも「腐乱死体」は別だ。「腐乱死体」であるために、名札や身分証明書を持っていても、本当には誰だか分からない。誰だか分からないので、もしかすると、それが身内かもしれないという可能性がある場合の「腐乱死体」は、ただ気持ち悪いものというだけではなく、極めて怖いものであるはずだ。それは安らかな死に顔なのか、恨めしい死に顔なのか、そんなことすらも腐乱しているために不明確だからだ。
 基本的に「腐乱遺体」というものはない。「遺体」であれば身元が判明しており、遺族が「腐乱」を許さないからだ。だから、そうした意味でも「腐乱死体」は厄介だ。にもかかわらず、誰もが「腐乱死体」になり得る。
 こうして、「遺体」も、条件によっては、忌まわしいもの、恐怖すべきもの、滅ぼすべきもの、そうしたものとして理解される。そして、それらに対するのと同じ思いを抱かれざるを得なくなることもあるものだということになる。
 「五輪の塔」を象った白木に戒名を書き付け、それを「卒塔婆」と呼び、納骨のときに墓石に添える。それが「卒塔婆」による最初の供養だという。
 「卒塔婆」は「そとうば」だが、元は「スツーパ」とか「ストゥーパ」とか呼ばれる仏塔が原形らしい。そこに俗名なり戒名なり、ともかくも名前を明確に書き付けて供養するのは、先祖代々の「霊」とか「霊魂」とかいわれているものと、扱いを分かつための手続きだろう。
 先祖代々のそうしたものがうまく鎮められていればよいが、昔のことであるから実態は分からない。手厚く供養されていた時期もそうではない時期も両方あったと考えるほうが間違いなさそうだ。
 となれば、記憶にある人の「魂」を、まずは取り立てて供養しておくのが現実的だ。十分に供養されていなかった時期のよからぬ状態にあるかもしれない、一部の先祖の「霊」とか「霊魂」とかいわれているものと、新しい「魂」とが不用意に融合しないよう、俗名や戒名を書き込んだ卒塔婆を墓石に添え、不適切なたとえかもしれないが、納骨時に最初の釘を刺しておくということが必要だ。供養する思いの底にはそうした理屈があっても、少しも不自然ではないようと思う。
 これが二次元的な「板の卒塔婆」ではなく、三次元の「五輪の塔」としての「石の卒塔婆」の時代であれば、今は不明確な、本来の「五輪の塔」の存在意義も、きっと深く意識されていたのではないだろうかと想像する。
 現代では、わざわざ教えてもらわねば、「板の卒塔婆」が「五輪の塔」の名残であることすらも知ることができない。ましてや「五輪の塔」を建てた心も知ることは不可能だろう。
 板の卒塔婆は、重量も軽く、形もただの板切れに見えるもので、「五輪の塔」の姿をそこに見ることは、助言なしには難しい。つまり、現状は、そこに込められた心も形式的なものになってしまい、忘れ去られてしまっているということだ。墓石のアクセサリー程度のものだという認識しかない若い世代も多いような気がする。
 ましてや、それを子孫に伝える話をする機会は、一昔前と比べても格段に減っている。何しろ、墓を維持することも、その墓を維持管理している寺の存在意義やその存続自体が問題になっているご時世なのだから。
 繰り返すが、「板の卒塔婆」も現代ではお墓の飾りぐらいにしか思われていない可能性が高い。「五輪の塔」にいたっては、あと百年もしないうちに、単なる置物、飾り物としてしか意識されない時代が来る可能性も高いではないか。
 最後の扱いは土に埋もれた発掘物だ。未来の考古学者が首を捻りながらいじり回す、研究対象物だ。それはそれで時代の流れというものがあるから仕方ないがないことだ。何しろ「諸行無常」の世の中だ。
 ちなみに、石の「五輪の塔」は残りやすいが、「板の卒塔婆」は残りにくい。もともと処分されてしまうものだからだ。だからこそ、簡単な造りにしてあるとも言える。
 木製ではあるものの、書き付け用、記録用の木簡が大量に出土することもあることを考えると、条件によっては「板の卒塔婆」がどこかで大量に出土される可能性もゼロではないだろう。正しい処分の怠りによるものだ。
 しかし、そのときに「五輪の塔」との関連が解明できるほどの保存状態が保たれているであろうか。それは難しそうだ。出土した木簡の状態を見るに、現在の「板の卒塔婆」の造りでは、原形を残しているとは思われない。何とも心許ないことだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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