恐怖シリーズ303「ぬりかべ」

 ゲゲゲの鬼太郎に登場する「ぬりかべ」は、水木氏によってかわいい感じの四角形の妖怪として描かれた。手足が短いのは、かわいくするためだろう。
 同じ胴体でも、手足が長かったり、多かったりすれば、たちまち嫌悪感を人に与えてしまうからだ。見た目は重要な情報だ。あの短い手足では、ほぼ何もできないだろうという安心感を人に与える。どっしりとした重量感ある胴体は安定感を人に与える。
 手足が無いと、逆に見えないはずの手足を想像することになってしまう。普通は手足があるから、自動的に手足を胴体から想像する羽目になるのが、人の脳の性だろうと思う。
 そして、大抵は想像した結果として恐ろしいものを頭に浮かべる。その方が身の安全の確保には役立つからだろう。
 その結果生まれたのが、水木流の「ぬりかべ」デザインだろう。あの安心感と安定感は、人に癒やしを与える。本来の妖怪は人に癒やしを与えるものとはかけ離れたものだろうが、愛らしい妖怪、魅力ある妖怪、そうした妖怪も含めて描き続ける必要が水木氏にはあったと思うのだ。
 伝説的な妖怪「ぬりかべ」の話には、様々あるようだが、共通するのは歩いている途中で歩行を妨げられるということだ。
 それは目の前が暗くなるほどのものが立ちはだかったような感じなのだろう。右も左もそれが続いていて、先に進めないのだ。
 この正体は何だろう。昔の人は狸とか狢とかのせいにしたようだが、そればかりでもなさそうだ。ただ、面白いのは、帯の結び目のところに狸が乗って、後ろから目をふさぐことによって引き起こされる現象、という説明だ。対策としては、帯を前で結べば、結び目に乗ることができず、したがって後ろから目をふさげなくなる、というものだ。
 原因はいろいろに言われるけれども、要は目の前が暗くなって歩行できなくなる症状だ。これはどう考えても「立ちくらみ」だろう。
 山道を歩いていて「ぬりかべ」に遭遇するのは、恐らく履物を履き直したり、少し高いところに登るために足を曲げた状態を作った後ではないだろうか。健康状態によっては、長く座っていなくても、瞬間的にしゃがんですぐに立ち上がったときでも「立ちくらみ」は十分に起こるものだ。
 それまで比較的順調に歩いていても、僅かな立ち上がる動作をしたことで「立ちくらみ」は起こることがある。それは稀に起こることだ。妖怪も常には出ないものだ。
 「立ちくらみ」なら、目の前が暗くなる。そして、右を向いても左を向いても暗いはずだ。昔の人の「ぬりかべ」への対策は、下の方を棒か何かで払うとか、しゃがんで少し休憩しているということだ。
 これは、両方とも「慌てずにしゃがむ」という行動が必要となる。しゃがめば、「立ちくらみ」も解消し、倒れて怪我を回避することもできる。これらの昔の人が考えた対策からも、「ぬりかべ」現象は「立ちくらみ」だと推測できる。ちなみに、しゃがめば、帯の結び目の上に乗った狸も諦めて、地面におとなしく降りる可能性もある。
 ただ、一つ疑問なのは、「ぬりかべ」という名前だ。山の中で遭遇するのに、どうして「塗り壁」と名付けたのか。これは非常に不自然な名前だ。壁のように立ちふさがるというのなら、「化け壁」とか「壁化け」とか、そもそも狐狸の仕業だというのなら、そのように言えばよいことだ。どうにも、山に「壁」という発想が気に入らないのだ。
 山の壁なら、「絶壁」「岩壁」で、確かに人の歩行を邪魔するものだが、元々それは特別な人しか登らないもので、最初から歩行するところではない。歩行するとすれば、それは「絶壁」「岩壁」の上で、それは落ちる方向以外なら歩行可能だ。
 あくまでも想像だが、「ぬりかべ」は日本語ではない可能性がある。「ぬりかべ」が出現するのは九州の北部に限られるそうだ。
 九州の北部と言えば、大陸や朝鮮半島にごく近い場所だ。つまり、日本語ではない言語を操る人々が、他の地区よりも多かったのではないかと想像できる場所だ。
 たとえば、現代中国語で「ぬりかべ」に近い発音として期待できそうな漢字の並びにはどのようなものがあるか。中国語として成立しているかどうかはわからないが、「努力可以」「努力各位」「努力甲斐」「努力可否」等々、思いつくだけでもいろいろありそうだ。
 「努力」をカタカナ表記すれば「ヌーリー」だ。これが「ぬりかべ」の「ぬり」に聞こえたということはないだろうか。
 特に「努力各位」などは、「皆頑張れ」という感じに聞こえないだろうか。「各位」は、カタカナ表記すれば、「グゥーウェイ」らしい。「かべ」に聞こえないこともない。順序としては「各位努力」なのだろうけれど、「各位努力各位努力」と繰り返しているうちに、日本語の「塗り壁」に近づいて「努力各位」と区切られることもあるだろう。
 もしかすると、倒置法のような表現かもしれない。「頑張れ皆!」ならば、山を登るときにも出そうな文句だ。疲れて足が止まりそうなのは、薄暗くても山を登らねばならない状況に、合っている。
 特に、疲れて立ちくらみを起こし、足が止まったメンバーに対して、その個人を励ますのではなく、それを支えるメンバー、そして回復を待つメンバー、それら全員に「努力各位」と言ったかもしれない。
 その立ちくらみを起こしたメンバーは、普段から山に慣れている人ではないだろう。過度のストレスを背負いながら、仲間と逃げている途中かもしれない。
 随行した日本人のうち、中国語をよくわかっていない者がその状況を見て、「ぬりかべ」なるもののせいで、あんなによれよれになっているんだ、と勘違いしたというわけだ。かなりこじつけたけど、可能性はゼロでは無いような気がする。
 だとすれば、恐ろしいのは「ぬりかべ」ではなく、立ちくらみを起こさせたストレスの原因だ。ストレスによって、体調は極度に悪くなり、死に至ることも稀ではないからだ。
 また、「立ちくらみ」が正体なら、「努力」ではなく、「哪里」かもしれない。「ナーリー」なら、「どこ?」だ。立ちくらみで視力を一時的に失い、「どこにいるの?みんな!」と叫んだというわけだ。
 「努力各位」ならば、リーダー的な立場の者が、疲労困憊していたことも大きな原因であろうが、「立ちくらみ」を起こしてしゃがみ込む者が出たのを見て、山道で難渋する一行の一人一人に脱落しないように声をかけ続けた状況が目に浮かぶが、「哪里各位」ならば、「立ちくらみ」を起こした本人が叫ぶセリフだ。その絶叫を聞いた、日本人のうちの中国語慣れしていない随行者が、「塗り壁」という言葉を想起し、目に見えぬ壁の妖怪の仕業で歩行困難となり、しゃがみ込んだと解釈したということになろうか。
 しゃがみ込んだ者が片手をついて、杖を手にしたもう片方の手で目の前を探るようなしぐさをした後、暫くすると立ち上がれたのを見て、妖怪「ぬりかべ」なるものは、下の方を払えば、立ち去ると思い込んだのかもしれない。
 ただし、「各位」は、日本人が関係者に出す手紙の宛名としてよく使うから、中国でも書き言葉かもしれない。それだけに丁寧な漢字の言葉だ。すると、この山道での声かけや絶叫とは少し雰囲気が違うような気がする。つまり、これらの仮説は没となるのだ。
 しかし、丁寧な書き言葉なら、メモかもしれない。メモの場合は、本人の絶叫ではない。立ちくらみ中にメモは書けないからだ。すると、やはりリーダーの檄ということかもしれない。しかし、その檄がなぜ声によるものではなかったのかという疑問が生じる。檄を飛ばすのにメモを用いるのは、よほどの特殊な状況だろう。
 それは暗い山道にヒントがある。普通は暗くなってから山道は歩かない。現代のように広い舗装道路、それも車道であれば、あり得ないことはない。しかし、昔のように、恐らくは人がすれ違えるかどうかも危ういような、細い未舗装道路であれば、特殊な事情が無い限り歩かないだろう。電気はないのだから、どこかで街路灯が点されているのを目標にすることもできない。
 そんな夜道、しかも山道を行くのは、人目を忍ぶ特殊な事情があったのではないだろうか。したがって、声は出せないのだ。静かな山の人声が、里や山小屋かに届かないとも限らないのだ。
 しかし、無言では不気味すぎる。そこでリーダーは「みんな頑張れ」のメモを書いて回す。ということは、その一行は数人ではないということになろうか。数人なら雰囲気で伝わるものがある。それが伝わらないという規模の一行ということになる。
 中には文字を理解しない者もいただろう。それは教養の無い日本人の使用人のような者かもしれない。一行の荷物でも運んでいたのかもしれない。回されたメモを聞く。聞かれた者が詳しく説明すればよいものを、坂道で息を切らしながら、「ヌーリーグゥーウェイ」とだけ発音したのを、近い発音では「塗り壁」という日本語しか知らないので、「ぬりかべ」と認識した。発音は聞いたが、意味がわからないので、首をかしげてみせる。そこで、さっきしゃがみ込んだ者を指さして、しゃがんだ状態から元気よく歩き出すしぐさをしてみせる。それを見て、「なるほど、さっきのはやはり妖怪のしわざだったか。」と了解、その妖怪の名を「ぬりかべ」だと思い込んだ。
 したがって、その者が歩いていた位置は、「立ちくらみ」でしゃがんだ者が見えるという比較的近い位置、それはリーダーが気づく位置でもあるから、先頭の方だ。弱い者、弱った者は列の先頭を歩かせるのが鉄則だから、その理屈には合う。
 中国人の一行。そのリーダーの横、あるいはすぐ後ろに、「立ちくらみ」を起こしそうに弱っている者がいる。数メートル以内だろうか、荷物を運ぶ役をしている臨時雇いであろうか日本人がいる。人目を忍んでの夜道の強行軍だ。とまあ、想像は広がっていく。
 さあ、知らないということは恐ろしいことで、あまりにも自由に想像してしまう。だが、「立ちくらみ」には間違いないと思うので、恐怖は無事解決だ。
 ただし、他にも候補はある。
 その一。「考妣」は「カオビー」なので、「哪里」と合わせれば、「ナーリーカオビー」となり、「ぬりかべ」と聞こえそうだ。意味は「どこ?死んだ父さん母さん」という感じになるから、「亡くなった父母のことを山中で思って悲しくなって立ち止まり、動けなくなった。」のを、その事情も知らず、中国語も解しない日本人が、もう悲しさのあまりにすくんでしまって、動けなくなった中国人が「ヌリカベ」とつぶやいたと聞き取って、その異様な脱力感を醸し出している中国人を襲っている妖怪の存在を感じて恐れたという、ネタあかしの話に仕立てなくてはならない。
 その二。「看你」は「カンニー」なので、「努力」と合わせれば、「ヌーリーカンニー」となり、何とか「ぬりかべ」と聞こえそうだ。意味は「努力しろ。なんだそのざまは。」という感じになるから、「山中でへこたれた人に向かって、なじった。」のを、中国語を解しない日本人が、もう動けなくなった中国人に他の中国人が「ヌリカベ」と叫んだのを、「ぬりかべ」という妖怪に注意しろと聞き取って、妖怪の存在を感じて恐れたという、ネタあかしの話を仕立てなくてはならない。
 その三、一つの文と考えて、「你立刻疲。」とすれば、「ニーリーカーピー」となり、もっともらしく「ぬりかべ」と聞こえそうだ。意味は、「お前は直ぐに疲れる。」という感じになりそうだから、「山中で直ぐにへこたれてうずくまり、他人の迷惑も顧みずに、もう動けないと文句を言うやつに、嫌みを言った。」のを、中国語を解しない日本人が勘違いして、妖怪の存在を感じて恐れたという、ネタあかしの話を仕立てなくてはならない。この中国語が成立するかどうかは別として、似たような聞き違いがあったのではないかということにしておこう。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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