変な疑問267「< べらぼう >の語源の珍説出せるか」⑦

 もしかすると、特定の「見世物小屋」では、人権を重んずる人や、差別ばかりに目を輝かせる人権屋にとっては、注目すべき「監禁・虐待・搾取」など、犯罪性の高いことが、過去、どこかであったかもしれない。
 いや、もしかすると、そうした「監禁・虐待・搾取」などが、「見世物」業界一般に蔓延していて、当然のようなことになっていたのかもしれない。そして、そのような目を覆いたくなるような状況を解消するために、誰かが立ち上がり、ものの見事に消滅させ、やっと現代に至ったとする。
 このような歴史の展開は、実にドラマチックであるために、世間一般の人にとって非常に受け入れやすいものだと思う。
 しかし、実際にはどうだったのか。それはわからない。受け入れやすいストーリーが必ずしも正しいとは限らない。どちらかと言えば逆だろう。
 だから、これまでの単なる想像とは別の、確からしい事実については、いよいよ「見世物」に関する著作物等を読んでいくこととし、そこからたくさんの視点と考察のヒントをもらわなければならない。だが、まだその段階ではない。今の段階で著作物に触れてしまうと、つい鵜呑みにしたり、それが全体の話だと思い込んでしまいやすいように思う。時期尚早だ。
 このようなことを思うのは、江戸時代からすれば、すっかり時代が変わってしまった現代、その現代人の頭で当時の様子を想像したり、当時の人たちの感覚や常識や価値観などを想像したりすることが、半分面白くて半分空しいことを、僕が自覚しているからだろう。その空しさのほうに思いが募ったとき、書籍を当たってみるのがよいだろうと思う。
 ところで、実際の「見世物キャラクター」の生活が悲惨であったか、そうでなかったかは別として、現代人は一般的に過去の人々の生活が悲惨であったと見る傾向が強いように思われるのだが、それはなぜだろう。
 たとえば、かつて、ピラミッドが奴隷の強制労働で建造されたというのが常識的な見方だった件を例としてあげることができる。
 つまり、かつては奴隷説が定説だったのだ。勿論、奴隷もいたかもしれないが、時代が変わっていろいろな資料が発見されたり、分析が進んできたりすると、どうも定説どおりではなかった様子が明らかになってきているようだ。
 恐らく現代人の感覚からすれば、常識的には奴隷による強制労働でなければ、ピラミッドなどの苛烈を極めるであろう大工事などは、決して成し遂げられるものではないと思わざるを得なかったのだろう。常識的判断の落とし穴にはまっていたのだ。
 常識は大事なものだが、それは昔の常識や、別の土地や国の常識と、同じではないことのほうが多いだろう。時代が進むにつれて、昔よりも発見されるものは増えていく。そして、時代が進むにつれて別の土地や国との関係が深まっていく。常識の扱いにはよほどの注意が必要な時代なのだが、発想や思考の根底には、この常識というものが土台にあったりするから、大変厄介だと思う。
 常識という一種の思考停止を促すものによって、もしかすると資料を正しく読み解こうとする努力すらも蔑ろにしていたかもしれないと反省した人々が、恐らく多くいたに違いない。しかし、それは仕方ないことだとも思う。常識的でなければ、異端視され、いろいろと不利なことが生じてくるからだ。
 また、性的サービスを生業とした遊女も、今は蔑視されているけれども、歴史を紐解けば、神聖な仕事であった可能性がある。逆に、かつては見下されていた河原者と呼ばれた者たちは、道を極めて、今や大豪邸に住む人々となり、尊敬さえされている人も多いる。
 「世の中は回る。車のように。上になったり、下になったり。」というわけだ。だから、現代のさまざまな常識も、多くのものは変化していくことになるだろう。逆転するのだ。
 それもこれも、時代が移り変わって、事情が変わり、人々の意識が変わり、価値観が変わっていくからだ。本当は、事情が変わり、人々の意識が変わり、価値観が変わって、だから時代が移り変わったと言うべきだろうけれど。
 もしかすると、時代の頂点にいるものが変遷していく原動力となっている可能性がある。そして、頂点にいるものが変遷すると、それによって今度は常識がまた変化していく。その常識が状況の変化などによって変わっていくと、今度は頂点にいるものが変遷する原動力としてはたらいていくという図式があるというように、単純化して考えると、何かつかめるものも出てくると思う。
 長い年月の間には、何事も必ず紆余曲折を経る。どのような変化を経てきたものであっても、そうしたものが築いてきた流れを僕たちは、文化的なもの、考え方や知識や習慣、感じ方として、知らず知らず引き継いでいるように思う。
 それは形骸化したものであるかもしれないが、形が残っていることによって、必要に応じて中身が蘇るこもあると思うのだ。
 必要に応じて何を引き出せるか、その引き出しの数が多ければ多いほど、そして整理されていればいるほど、有効に蘇らせることのできるものが多くなり、それは活力として利用されることが期待されるものとなるだろう。
 たとえば、形骸化してしまったように見える礼儀作法の数々。その奥に読み取れる理屈や心や価値を、必要に応じて、言葉に直して広めたり、必要に応じて、その心を別の何かに生かして、新しい時代の新しい作法を生み出したり、作法ではない別のものに生かしたりして、活用できるだろう。
 そうした作業を怠って、漫然と新しい時代を迎えてしまうと、旧態依然とした陳腐な礼儀作法が、いかにも礼儀作法の神髄を会得しているとばかりに、展開されていたとしても、見識が無いために無感覚になっているため、ノーチェックで受け流してしまうおそれも出てこよう。それが形骸化ということなのだろう。
 知らず知らずのうちに引き継いでいるものが、このような形骸化されたものならば、罪は重くないかもしれない。
 しかし、知らず知らずのうちに引き継いでいるものが、常識的な感覚として引き継いでいるものであった場合、それは大きな問題がある。
 たとえば、「見世物小屋」で演じる人、そうした小屋を経営する人、そのような職業に就いている人たちを見下す差別文化だ。
 それは、いろいろな時代の歴史を超えて、今も表面上は姿を潜めつつも、実は多かれ少なかれ、はやり僕たちに深く強く根付いているものなのかもしれないのだ。それが形骸化しているために、深いメスを入れられることもなく受け流され、常識的な感覚として身についているということであれば、何らかの形で光を当てなくてはならないと思う。
 見下すと言えば、「職業に貴賎なし」という言葉があって、つまり職業によって見下すということがあってはならないものとされている。
 しかし、「職業に貴賎なし」と力説すればするほど、そのように力強く訴えなくてはならぬ、負の現状があるということを、強く証明し、宣伝しているようなものだ。だから、そういう場面に出くわすときには、妙な違和感を覚える。
 口では綺麗なことを言ってはいるが、本当にそう思っているのかとか、では対策をどのように取るのかとか、いろいろと思ってしまう。少なくとも、対策を述べた人をこれまで見たことも聞いたこともないからだ。
 実際には、「職業に貴賎なしと言うけれど」と続けたい言葉だが、愚痴っぽく聞こえたり、変な川柳に聞こえたりするので、違和感を持ちつつも、きっぱりと「職業に貴賎なしだが、そのように思っている人たちはいる」と言い切るのが正直でよいと思う。
 「見世物」という職業は「貴」か「賤」か。そのように問うこと自体が変なのだが、敢えて問えば、普通の人は「賤」と言うだろう。勿論、「職業に貴賎なし(だといいのになあ)」という、反実仮想的なニュアンスで捉えてもらうとともに、職業に「貴」「賤」の別があるのではなく、人の意識のほうに「貴」「賤」の別をつけるような傾向があるからだと判断してもらうのだが、と前置きをしての問いかけなのだが。
 人の意識のなかに、職業の「貴」「賤」の別をつけようというものが仮にあったとしても、実は線引をしているというところまでの明確なものではないと思う。だからといって、「線引きができないようなものならば、もともとそのような別はないのだ。」というような詭弁を許すわけにもいかない。
 なぜなら、線引きができないのは、「貴」「賤」の別が流動的なものだからだ。時代変わればというやつだ。しかも、あらゆる職業に対する人の意識が、あるとき一斉に変化するということなどない。傾向はあるかもしれないが、人によってばらつきがある。だから、一般的な線引きができないというわけだ。意地悪な言い方をすれば、その状態を以て「職業に貴賎なし」ということができるかもしれない。
 しかし、個人内では厳然として「貴」「賤」の別を作っているように感じることがある。厳然とは言っても、その場その場だけのもので、実際には時の流れのなかでそれも変化していってしまうものだろう。
 「見世物」も今は、「賤」の部類かもしれないが、今後、あるいはどこかで「貴」の部類に入る可能性はある。現在、既に「貴」の部類に入る気配を見せているものが無いわけではないだろう。探せばあるに違いない。
 「べらぼう」も、もし存在するものであり、「べらぼう」らしさが遺伝して残るものであるならば、そして遺伝しないまでも同様の存在が別に発生しているのであれば、その両方が今頃は「貴」の部類の職業に就いている可能性はゼロではないだろう。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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