日々雑感387「予算化されないもの」

 人間の活動は大規模になればなるほど、予算枠の影響を大きく受けるようになる。予算に占める割合が大きくなればなるほど、他の予算への影響が大きくなるからだ。
 全予算枠を超える活動であれば、その計画自体がなかったものとされかねない。それは当然のことだろう。しかし、その計画は必然性があるのは勿論のこと、緊急性だってあったかもしれないのだ。
 それを経済的実態にとらわれたために予算化を後回しにして、手遅れになることだってよくあることだろう。表沙汰にならねば、誰も気づかないかもしれない。「知らぬが仏」とはよく言ったものだ。知る権利があるとはいうが、知れば知るほど反仏的な気持ちになるということだ。だから、敢えて知ろうとしない人たちもいる。
 これは、緊急性のある問題が置き去りされるという、悲劇的なケースだが、予算化しなかったり、大幅に予算化が遅れたりした結果、当然のことながら、非常にまずい事態を招くことがある。
 その失策が発覚したときには、「その時はその時のことだ」とお気楽に考えているわけだ。どうせ、その時に自分は違うポストにいるか、退職しているので、どうにかなるとか、そうした頭の悪い算段の数々しか選択肢に浮かんでこない低レベルの種類の人間もいるだ。
 そのように必要なことをしなかった場合は、その代わりであるかのように、短期的に見栄えのするような比較的どうでもよいようなものに力を入れていたりする。以外とそれが目立つので過剰評価されるものだ。すると、周囲は、はやりそうした発想の仕事をするようになる。
 そのうちに組織全体がそうした雰囲気になるため、評価されるための常識的な仕事のやり方という流れができあがってしまうだろう。
 組織的な堕落だから、それに違和感を感じるのは新入社員だけなのだが、それも早くて半年後、遅くとも一年後にはすっかりと染まってしまうに違いない。それでも、許せなければ転職ということになる。
 失策が発覚しても、恐らく「運命だったのだろう。これから先のことを考えるのが現実的だ。」といって、責任回避するために目前の大問題に全員を集中させるように導くか、「その時点では予見できない問題だった。その科学的証拠を示すことがまだできなかった。」といって、責任転嫁のために遅れていた科学のせいにしたり、当時の総責任者のせいにしたりと、混乱した職場を更に煙をまき、目前の大問題をうまく解決するための提案など一切出さずに徹底的な保身のために奔走するぐらいが、関の山だろう。
 さて、仮に予算が通ったとしても、規模を縮小した形にすることが条件であったりして、そのために結局は無駄金を使ったという評価となりやすい。
 すると、翌年度分の事業計画も見直しを迫られたり、初年度の計画の評価が下がったために、実質的に頓挫せざるを得なくなったりすることになるだろう。お為ごかしに、なんとか趣旨だけは言葉として残されても「有名無実」状態、実際には身動きが取れずに理想を言葉で述べるだけの飾りとして貶められてしまう可能性が高い。
 その後、話題には出るものの、結局は予算化の見込みはないため、「いずれ機を見て」とか、「今は様子を見ましょう。」とかいう終わり方をするのが落ちだ。そのうちに問題が悪化して、もう手が打てない状態となってしまうことも多いのだろうが、その時には、「どうして当該の部署が早く動き始めなかったのか。」とか責められるわけだ。どの組織でもそうしたことがあると思う。それは人々が愚かなのではなく、年度予算方式の組織の持つ本質的な愚かさの一つだと思う。
 つまり、先見の明を持っている人がいても、組織の中でそれを生かす仕組みがなかなか作れないために、「労多くして功少なし」ならぬ、「規模小さくして功少なし」となり、結果として「焼け石に水」状態となり、無駄金の山というか、無駄金の穴が大きくなっていき、やがて立ちゆかなくなってしまうのだろうと思う。
 特に組織が大きくなって守備範囲が広くなると、部署ごとにきちんとした先見の明を持っている人が配置されていないと、大改革や小改革や必要に応じて行うべき事がタイミングよくなされないために、悲しい結果や、迷惑なしわ寄せをくらう人々がたくさん出てくることになるだろう。
 これまでどのような組織でどのような予算が作られてきただろうか。その中で、どうしても必要だったのに、予算の関係で流れてしまった企画が、どれだけあったことだろう。
 没になった予算案にその理由が明記されているだろうか。没にした代わりに何を行うかが明記されているだろうか。そして、それは廃棄処分になったのだろうか、それともしかるべき場所に保管され、いつでも取り出せるようになっているのか。
 年度の終わりだからついつい考えてしまう。通常と異なる活動となる大規模事業には、大規模な予算措置が必要で、その予算確保のための調整は、収入の予算を変更しない以上、一つ枠の中での折衝となる。特別枠からの追加があったとしても、結局、何かの予算を突出させるには、別の何かの予算を削減しなくてはならない。
 だが、毎年ではないけれど、何年かに一回は大予算を組まねばならないときが必ずやってくるはずだ。それに対応できる仕組みがあるかないか。それが問題だ。予算化されない企画の亡霊、それに関わってきた人の亡霊、その亡霊たちが、世界中に渦巻いている幻が見えてきそうだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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