変な疑問273「< べらぼう >の語源の珍説出せるか」⑬

 ところで、一方的に「差別」という言葉に悪いイメージが染みついているのは、誰の責任とは問いにくいのだが、それはやはり理由あってのことだと思う。その「差別」という言葉に対する差別を無くすにはどうしたらよいのだろうか。
 少なくとも経営者たる者ならば、当たり前のように使っている「差別化」ということばがある。「差別化」することによって競合を無くし、活路を見出すのだ。差別することによって個性を打ち出すことの重要性は、非常に理解されやすい。
 国の政策で一つの方向が出されたとする。その結果同じようなものがたくさんつくられて流通するようになる。するとどうなるか。たたき売り状態となってしまうのが落ちだ。加工されたものならば、追いかけて差別化を図ることもできるかもしれないが、農作物とか資財とか、加工される前のものは差別化することができずに、物をさばけなくなってくる。ブランド名をつけるに足るような改善も進められるだろうが、それもやがて飽和状態になり、結局は総量を規制するような動きになってしまうだろう。
 そうなると生産者側はまた苦しくなる。どの段階でどんな差別をするかを真剣に考えないと倒れてしまうことになる。生産するもの自体を差別してそれぞれの地場に適したものに力を入れてもらうか、生産者を差別してそれぞれ得意なものに着手してもらうか、価格で差別して高価格路線でいけるものや低価格路線にたえるものを開発するかか、販売ルートを差別するか。経営者になったことはないのでわからないが、なかなかに頭を使うことだと思う。
 これが「見世物小屋」の経営ではどうだろうかと想像してみる。
 「生産するもの自体を差別すること」に相当する「見世物小屋」の親方の仕事は何だろう。
 それはたとえば、他の見世物小屋にはない「見世物キャラクター」を調達することだろう。取りも直さず「べらぼう」の入手がそうだ。類似の「見世物キャラクター」の記録はない。この差別化によって、「べらぼう」がいる「見世物小屋」は大繁盛というになる。ほかの「見世物小屋」では入手できなかったということは、存在自体は稀ではないが入手困難であるか、もともと存在自体が稀か、その両方かだ。それは舶来のものか、絶滅危惧種か、舶来の絶滅危惧種か、もしくは随分と特殊な奇形や珍しい特殊能力のあるものか、普通なら長生きしないタイプの奇形が特別に長生きしたものか、そうしたようなものだろう。
 「生産者を差別すること」に相当する「見世物小屋」の親方の仕事は何だろう。
 それはたとえば、それぞれの「見世物キャラクター」にそれぞれ異なる種類のパフォーマンスを要求することだろう。ただし、それぞれの特徴を生かしたものになるように、アドバイスなり指導なりをしなくてはならないだろう。場合によっては、単独ではなく、ペアを組んでのパフォーマンスを考えたり、照明や大道具や小道具を工夫したりするなど、様々な企画する必要があるだろう。また、その企画自体を季節ごとに変化させるなどして、他の「見世物小屋」との差別化に最大限の知恵を絞れば、見物客を飽きさせずに何度も足を運ばせることができるだろう。
 また、その働きによって待遇を差別するということも有効だろう。働きがよいのに他と同じ待遇では、冷遇されているのと同じだ。つまり、それは「許されないタイプの差別」だ。それは「配慮の怠慢による差別」と言い換えられるかもしれない。
 それは、働きがよいから優遇される「当然の配慮としての差別」と区別されなければならない。頑張った者がよい待遇になるのは理にかなっている。その配慮の弊害として、「見世物キャラクター」内の嫉妬やいじめによる足の引っ張り合いが心配される。
 ところで、会社などではそうした問題は同期の中で起こる。同期は、同期というだけで、能力までが同等なものという錯覚を起こしやすいからだ。同等なのに待遇が異なるということになれば、不公平だという不満が生じるのは当然のことだ。年が離れていれば、待遇が異なって当然という気持ちがあるから、そうした問題は起きにくい。年が離れていて、同等と思うほうが異常だろう。
 しかし、「見世物キャラクター」は、たとえ同期であっても同等ではない。親方によって差別化が図られた集団となっているのが普通だからだ。だから、類似のキャラクターは集められていないはずなのだ。金子みすずではないが、「みんなちがって、みんないい」という理想集団の基本が「見世物小屋」にはあるような感じがする。
 そして、「見世物キャラクター」が動物であれば、もともと差別を感じることがなく、人間であれば、持ちつ持たれつの関係を見出して、感謝の念が湧くばかりとなるだろう。「べらぼう」のような人気「見世物キャラクター」のお陰で、他の人間「見世物キャラクター」たちはお払い箱にならなくてよいのだ。「べらぼう」が人間ならば、他の「見世物キャラクター」のお陰で、飽きられることもなく、人気を保ち続けられているのだと感じる。親方が妙なおだて方や破格の待遇をしない限り、互いに感謝し合い、多少待遇が違っても文句はでないだろう。人心掌握が親方稼業の基本だろうと思う。「見世物小屋」内に変な雰囲気をつくってしまえば、それを敏感にお客さんが感じ取り、なぜか楽しめない気持ちになって帰って行くだろう。リピーター率は格段に下がるに違いない。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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