恐怖シリーズ326「ガードレールがない理由」

 痛ましい交通事故は毎日起こる。毎時間、毎分、毎秒と言った方がよいだろう。今は、滋賀県大津で、信号待ちの保育園児たちに自動車が突っ込み、死傷者多数を出した交通事故が大きく取り上げられている。毎年、同様の事故があり、未来ある小さな子たちが命を落としている。誰が亡くなっても痛ましいのだが、特に幼児が亡くなるのは痛ましいことこの上ない。
 今回の死亡事故はどうして防げなかったのだろうかと、非常に残念に思うと同時に、不可解なものも感じる。それはネットのニュース記事から受け取った印象だ。書きぶりはこれでよいのだろうか。今は、こう書かざるを得なかった事情があったのかもしれない。もし、後日に記事の続報があるのなら、最後まで読んでみたい。

以下、「2019.5.9 22:16産経WEST」の記事より抜粋

 滋賀県警によると、この交差点では過去5年間に人身事故はなかったものの、物損事故は13件あった。このうち、追突事故は6件、直進車と右折車の事故は3件発生している。
 事故対策のため、滋賀県は車道に減速帯を表示。県道路保全室の担当者は「現場は交通量が多く、渋滞も発生する。車のスピードも速いため危険箇所として対策を講じていた」としており、事故を受けて新たな交差点対策を検討中という。

 「なるほど。検討中だったのか。では、仕方ない。」などと思う人など、この世にもあの世にも、誰一人としていないだろう。この県道路保全室の担当者とて、このような事故が起こった以上、墓石行政の力が発揮されるように全力を尽くすはずだ。
 記事にするならば、読み手が欲しがる情報や、明確にされるべきである情報を入れるべきだろう。残念ながら、そうした情報は、ここで抜粋した分の中には見たとおりなく、この記事全体にもなかった。この会社だけではなく、他の会社が提供する記事にも、そうした必要な情報は無かった。それはなぜだろう。警察が提示する情報をもとにして、各社が記事にするからだろうか。
 では、必要な情報とは何だろう。

① この事故現場を危険箇所として滋賀県が認識したのは何年前からか。
② 危険箇所として滋賀県が認識してから、対策を講じ始めるまでに何年かかったか。
③ 滋賀県はどういう内容の対策を具体的に講じていたのか。
④ いろいろと事故が起こっていたのにガードレールがなぜ設置されなかったのか。
⑤ 講じていた対策からガードレールが外されていたのはなぜか。
⑥ この交差点の安全対策として自治会や学校関係者からどのような要望がなされていたのか。
⑦ ⑥の要望は道路保全室の中での優先順位の何番目に位置づけられていたのか。
⑧ ⑦の位置づけからすると、およそ何年後にどのような要望が実現される予定となっていたのか。
⑨ 今回の事故によって、⑦の優先順位としての位置づけは何番目に変更される予定なのか。

 たくさんのようだが、要点だけを文章にすれば短い。たとえば、次のようになる。

 「この危険な交差点は●年前から●を設置するなどの対策が講じてきた。子供たちの命を守れたはずのガードレールは、県下の交通安全対策の優先順位が●番目で、約●年後の設置予定であった。この事故を受け、対策順位を●番目に上げ、即刻手始めの対策として取り組む予定である。」これに、お詫びの言葉を加えればよい。

 必要な情報、特に数字で示される情報が全て欠落しているのは、それはどうしてだろう。予算化されていないから動けないとか、わけの分からない理屈を述べ始めたら、人々の不信感がマックスに達するだろう。
 重要なのは、この危険な交差点に講じてきた対策が述べられていないことだ。地域住民の声が自治会表を通して県に上がっているはずだ。その対策を述べることで、無策ではなかったことをアピールすべきだ。それができないということは、何もしてなかったということを意味する。
 「いえいえ、住民からの声がありませんでしたので。」というのも言い訳だ。住民の声は補助的な情報であって、まずは対策をとるべき部署が、危険性を把握して評価していなければならないはずだ。そんなことをする人手がありませんと言ったらお終いだ。人の命にかかわる仕事を何だと思っているのかという批判は免れないだろう。
 もしかすると、「一作年度までは要望がありましたが、昨年度は要望がありませんでしたので、優先順位から削除させていただきました。予算には限界がありますので。」というような趣旨の発言がこれから出てくるかもしれない。だが、やはりそれを言ったらお終いだ。
 自治会長が替われば、要望内容も変化するかもしれない。しかし、そこは対策をとるべき部署が、杓子定規に切り捨てるのではなく、昨年度までの要望の実態などの資料があるはずなので、それをもとに、新しい要望とつきあわせながら、対策の見通しを話し合うなかで、要望にあげなかった説明を求めるべきだろう。新しい自治会長も前の自治会長との引き継ぎが十分であるとは限らないのだ。
 要望を受ける方も要望する方も、お互いにその十分でないところを補うための会合があるはずだ。それが形式的なもので流されて、必要な話し合いがなされていなかったのではないだろうか。
 直接には運転していた人に落ち度がある問題だが、安全対策が十分でなかったということになると、落ち度は運転していた人にとどまらないのが道理だ。
 世の中は、道理が引っ込む場合がある。それが世の中というものだが、仮に人の命がかかっている仕事に携わる人間が、通り一遍にそのように考えているとするならば、それはいったいどういう名前の罪になるのだろうか。
 記事から読み取ると、このように悪いイメージしか残らない。ニュースの記事を発信するときは、よいイメージが残るような書きぶりで、つまり、読み手がいらいらしないですむような、数字の情報を適切に交えた、明確で安心できるような書きぶりで示してほしいものだ。
 もっとも、そうした情報を教えてもらえなかったら仕方なのだが、そうしたら教えてもらえなかったことがわかるように書くべきだろう。
 角が立つかもしれないが、そうしたことがないから、甘えが生じ、結果として死ななくてもよい幼い子供たちが命を落とすという結果を招いたと言われても仕方ないだろう。ただ、もしかすると後日続きの記事が発表されて、具体的な情報の追究と発表がなされるのかもしれない。追及も必要だが、まずは追究することでそれがなされていくものと信じている。
 それがなければ、読み手はニュースの記事を読む度に記事に対する強いストレスを感じるものだ。新聞の購読数が激減しているが、ネットニュースも記事の内容を記事らしくしていってもらえたらありがたい。十年、二十年前の記事の書き方では、もう人々の意識や時代の要望に全く合わなくなっているように思うのだ。江戸時代の瓦版の記事を参考にして書きぶりを学んで記事を構成する記者はいないだろう。時代の展開は、十年、二十年前の昔と比べものにならないくらいに今は早い。だから、それと同じだ。
 記事の書きぶり一つのことでも、それが継続すると、人々の感覚や考え方の癖が決定していくということはある。だから、それは本当に恐ろしいことだと感じてもらい、出てくるべき情報が出てこなければ食い下がって手に入れるということに、是非とも専念してもらいたい。それが仕事だと思う。

 墓石行政というのは揶揄して言っているのではない。そうならざるを得ないのだから、仕方ないことだ。仕方ないではすまないので、墓石行政の事情を広く理解してもらい、それをきっかけにして、誰かが死ななくては道路の安全性が早急に確保されないという悲しい現実が変わるような動きが出ることを期待しての「墓石行政」だ。
 特に交通事故は、一頃と比べて死亡者は減ってきたものの、多くの人が亡くなる状態は変わっていない。ご遺族にとっては、死亡者の推移など無意味な統計だ。家族が亡くなったか亡くならなかったかだ。「全てか無か」なのだ。
 先の大戦後だけでも、いったい何人が交通事故で亡くなっただろう。毎年一万人以上がなくなっていた時期もある。一万人を超えていた年は、合計二十年ほどあるだろう。中でも、大阪万博のころの数年間は一万六千人を超えている。今減少しているといっても、ここ七十数年間のうちの二十年ほどだから、相当のものだ。
 多い時には、つまり、毎年のように東日本大震災で命を落とした人たちの数を超える勢いだったわけだ。これは恐ろしい数だ。
 現在交通事故死亡者数は、幸いなことに減少傾向にあって、この数年間は、毎年三千数百人から四千人ほどとなっているようだ。これを一万六千人の頃と比較すれば、激減と言えるが。そんな比べ方をしてはいけない。
 そもそも、死亡者が減っても、それに近い状態で生きていかねばならない人たちが増えているはずだから、それも込みの統計が出されなくてはならないはずだが、それは「交通事故総合分析センター」のホームページで探せば出てくる。しかし、登録が必要で有料なので、もっと一般的に公表すればよいのにと思う。よく探せば、警察のホームページでも詳しい統計を閲覧できるかもしれない。
 ただ、死亡者の定義が途中で変更されたという話があったので、昨年度までずっと同じ条件での統計ではないはずだ。死亡者の定義は、事故後何時間以内に亡くなった人というところの、何時間という条件が短くなったと思うが、どうだったであろう。その時間を超えて亡くなった人は、死亡者数の方には入ってないという現象が起こる。
 その重傷者の人数も、死亡者が減っているのに連動して減っているようであるならば、問題は無いと思うが、何せ統計のことだ。その信憑性をどうやって証明するかということが重要なこととなる。残念ながら、証明できはしないのだ。
 ただ、生活感覚としてはだが、交通事故は確かにここ最近は減っていると感じる。自動車の安全対策が功を奏し始めていることが、原因としては大きいと思う。それに加えて、高齢者の免許証返納ということも要因としてはあるだろう。

 

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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