日々雑感392「甘あ、辛あ、酸っぱあ、苦あ」

 最近に耳障りな言葉に「あまあ、からあ、すっぱあ、にがあ」などがある。形容詞の語尾を省略したものだが、それは形容詞の形容詞であることの自己否定だ。つまり、これは形容詞ではなく、形容詞になる前のものだ。では、名詞かというと、名詞なら「あまみ」「あまさ」などのように接尾語を伴うから、名詞でもない。
 単独では使わず、「甘塩」「甘口」「甘皮」「甘噛み」「辛口」「檄辛」「3辛」「すっぱレモン」「苦瓜」「苦笑い」「苦手」「苦虫」などのように、次の語を形容したり、「3辛のカレー」のように接尾語となったりして、セットで使われる。
 ただ、形容詞を作る「い」を省略しただけでなく、語の最後が「っ」と音が処理されることがあることや、この言葉が発せられる状況からすると、「甘あ、辛あ、酸っぱあ、苦あ」は、どう見ても形容詞の語幹が感動詞として使われているようにしか見えない。
 単語の最後が、「あまっ、からっ、すっぱっ、にがっ」のように、「っ」と音が処理されると、何かを口に入れた時の強い感覚を、反射的に感覚的に表現するのに適したもののいい方になっているように思う。まさしく、典型的な感動詞の雰囲気をよく表現したものだ。
 どちらが先かわからないが、「あまあ、からあ、すっぱあ、にがあ」という形と、「あまっ、からっ、すっぱっ、にがっ」という形がうまれ、使い分けが始まる。双方、感動詞として使うが、味の強さや継続時間の違いで使い分けられることが多いと思う。その程度が甚だしくなれば、「あっまっ、かっらっ、すっぱっ、にっがっ」という形も生まれる。「すっぱっ」は、形式的には「すっっぱっ」となるのかもしれないが、標準的な表記ではないので、「すぅっぱっ」とでもなるのだろうか。これは疑問だ。
 いずれにしても、そうした実情の程度までをよく表現したものを、耳障りと感じるのはなぜだろうか。
 恐らくTPOの配慮のなく、反射的に表現してしまっていることに対する抵抗感があるからだろうと思う。つまり、素直ではあるけれども、無遠慮な態度というわけだ。その態度が、その表現とともにあるので、どうしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないが、言葉の響きまでが耳障りなものとして感じられるのだと思う。
 「あまっ」「あっまっ」などの言い方は感情をより強く表現するものだと思う。しかし、生活の中では、感情の表現を抑えなくてはならない場面が多々ある。そうしたところで、それらの感動詞を連発すると、どうしてもはしたないということになってしまう。そのはしたなさに対する嫌悪感のようなものがあって、少し耳障りに感じるのだろうと思う。
 ただし、これが「痛い」という形容詞になると話は別だ。これは緊急を要する一大事だから、「いたっ」「いたあ」「いったっ」さらに「いったあ」「いったああ」となっても許されるだろう。そこに耳障りだという感想は生まれない。
 腕を切り落とされて、「今、私は腕が酷く痛い。」と言ったら、恐ろしく冷静でかえって不気味だから、「いったああああ」とか、いっそのこと言葉を飛び越えた叫びとして「ぎゃあああ」という感動詞がよいと思う。 
 そのような事件、事故の場合と、食事が近いものになってはいけないと思う。だから、食事の味の表現は、感動詞でない方がよいと思う。食レポではないが、確実な文章にして、表現するほうが、下品にならなくてよいと思うのだ。そのためには、「あまい、からい、すっぱい、にがい」という形容詞を駆使して、主語・述語・修飾語の整った文を構成するのがよいと思う。無理して上品にしなくてもよいが、中品程度には表現したいものだ。
 上品な表現に近づけるには、これらの言葉のように味を直接に表現したり、感動詞で感情を露わにしたりすることを避け、「何々の味がしますわ。」などと比喩表現とするのが、簡単で間違いがないように思う。比喩といっても、「まるで」とか「ほぼ」とか余計な言葉はつけないほうが好ましいと思う。もっと上達すれば、「味」という直接的な言葉を使わずに、おいしさを表現できるようになるのかもしれない。極端に上品ぶる必要もないが、敢えてありのままの下品であり続けることもないと思うのだ。
 とにかく、感情丸出しで叫びたいのは、皿の上のなます斬りにされた魚たちや、切断されて肉塊となり、塩こしょうを塗り込められて、火あぶりにされた牛たちのほうであって、絶対にそれを食する人間のほうではないということだけは確かだ。
 ちなみに、「にがあ」は、「ニガー」と聞こえ、しかも嫌な感じで発音されるため、黒人差別のヘイトスピーチを始めるつもりかと誤解されるおそれが高い。
 日本人のような風貌でも、もしかするとアフリカ系のクォーターあたりの可能性もあり、本人や周囲の人々を大変嫌な気分にさせてしまったり、国によっては「あいつがニガーと言っていた!」とご注進するような、他人のトラブル高みの見物を決め込み、憂さ晴らしの肴にして楽しみたい輩の餌食になったりする可能性もあるから、余程慎んで使わないに越したことはないだろう。

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