恐怖シリーズ340「旭日旗モチーフ?」⑨

 このように国旗等の旗のデザインを一つ一つ見ていくと、「少し考えすぎではないか?」と思うようなものもあるかもしれないが、残念ながら2020年の東京パラリンピックの「扇」のデザインを、「旭日旗を連想させるものだ」と言い切る人々がいる国が一国あることからすると、飛躍した極めて意図的なこじつけの解釈が日常的になされている可能性のある国が他にもあるかもしれないと思っていたほうがよいのかもしれない。
 そうした目で見れば、「少し考えすぎではないか」と思うようなものであっても、十分すぎるほどに、特に朝鮮半島に住んでいる人々の感性にかかれば、「旭日旗」にほぼ間違いなく辿り着くことは、それがたとえ常識とはかけはなれた不自然な感覚や判断であっても、そうしたことはあり得ることだと想定していること自体は、不自然なことではないと見てよいだろう。
 たとえば、①の場合の問題は、この国旗を見た人が何を感じるかということだ。感じる根拠となるものは個々人様々ではあるものの、デザイン上、一様に他の国の国旗と同類の星印なので、星と認識した上で与えられるイメージがどのようなものであるかということが、本来は問題とされねばならないはずだ。
 ところが、朝鮮半島に住む人々が、通常ならば五つ乃至六つある星の角を超える七つ以上の角をもつ星印に反応して、「これは星ではないのではないか、星ならば、角が数個のはずだ。それを敢えて七つ以上に増やしているということは、遠くの恒星である所謂星ではなく、地球に最も近い恒星である太陽を表現しているに違いない。いや、このデザインは日本人が巧妙に隠した太陽の姿に相違ない。それは当然のことながら日章旗を連想させる。連想した日章旗からは、さらに旭日旗を連想させる。全くずる賢いやり方だ。本当に日本人は全て悪質なやつらばかりだ。だから許してはならない。そのために、ずっと恨み続けていく。こんな悪質なデザインの隠蔽は、かつて日本があちこちに手を回してそうさせたに決まっている。こんなところからも世界征服の野望を成し遂げる企みを進めていたのかと思うと腹立たしくて仕方ない。盗っ人猛々しいだけでなく、実にけしからぬ陰謀を巡らしてきたと言わざるを得ない!」などと喚き散らして、鼻息荒く各国に報告するのは、目に見えている。
 そのぐらいの根も葉もない言いがかりをつけて日本を貶めておかねば、とどまることを知らぬ日本の人気はバランスが悪いものになってしまいかねないのだろう。
 しかし、その結果、これまでの全てがそうだが、またもや逆効果を招いて朝鮮半島の孤立化を促進させないとも限らない。それはそれで結果的には日本にとっても経済的にも心情的にも面倒なことになりそうなので、何とか避けてもらいたいところだ。
 では、どうしたものか。「その星印は、太陽を表現しているのです。」と、その国において既に国旗の説明が公になされている場合は、個々人の受け止め方は別として、一般的には公にされている説明に従って、太陽だとして貫き通すべきだろう。当然、朝鮮半島に住む人々からのクレームを覚悟しなくてはならぬが、そのときは仕方ない。国を挙げてのストーキングクレーマーの毒を味わい続けるしかないだろう。
 しかし、朝鮮半島に住む人々が、「この国は親日国なのか?」と問い詰めた日には、かえってその国は日本とのつながりが取り沙汰されて、親日国として喜んでくれるかもしれない。文句ばかりで無責任な国よりも、日本のほうがずっとましだからだ。
 逆に、「その星印は、星を表現しているのです。」と、その国において既に国旗の説明が公になされている場合は、やはり個々人の受け止め方は別として、一般的には公にされている説明に従って、星だとして貫き通すべきだろう。
 朝鮮半島に住む人々からのクレームがついて、「太陽も恒星で、所謂星もほとんど恒星だから、星だといっても結局は旭日旗を連想してしまう。だから、気分が悪い。そんな旗は国旗として認めたくない。もっと貴国にはふさわしいデザインがあるはずだ。その新しいデザインの国旗に早く作り替えなさい。なんなら我が国が最高のデザインを提供しようか。」などと、喚きながらしつこくねじ込んでくることを覚悟しておかねばならないだろう。しかし、そのときは、やはり自国の誇りを持って突っぱねるだけの話ということにしておいてもらいたいものだ。
 どちらにしても、かの国のこれまでの諸分野での動きを見ていると、自己中心の発想が多く、相手の気持ちや立場を考えることは少ない。
 自分の感情を基準にして判断し、相手に問題を解決させようとする。したがって、まだ被害に遭っていない諸外国や諸団体、そして個人も、国旗や商標、建築物、芸術作品、その他に対する、かの国からの来たるべきクレームの対応策と予防策を立てておくべきだろう。いつ何時、何に反応してくるかわからないので、用心しておくに越したことはない。
 ともかく幼い頃より、祖父母や両親から朝鮮半島の出身者から酷い目に遭ったことしか聞いてこなかったので、このように慎重になってしまうのだが、四人とも「とにかく朝鮮の人とは関わってはならない。とんでもない目に遭う。」というのが口癖だった。その意味が最近はよく理解できるようになってきた。
 ちなみに、同じ星印であっても、旗にデザインされた時点で、単なる天体としての意味ではなく、そこに付与されている意味合いがあり、それはは国ごとに違っている。
 それは本当の星であったり、希望であったり、人民であったりといろいろだろう。太陽にしても同様だ。太陽の印は、星印と違い、太陽印という語は日本語にない。しかし、そのデザインは一般的なものとして何種類か使用されている。その太陽の印も、やはり、星印の解釈の数ほどではないが、解釈に幾らかの違いはあるのだろうと思う。
 そうした解釈は、表現者がとなえる意味でなされなくてはならないのだが、本来ならば、それぞれ意味の違うものに対して、自分が感じた印象だけが絶対だとして、批判の対象として何らかの意見を主張してやまないのは、縦から見ても横から見ても理屈に合わない。
 そうした批評やら主張は、人の感情の表し方というレベルだけで見ても間違っている。そして、批判やら主張を繰り返し叫ぶだけでなく、実力行使にまで至るということになると、理由はどうあれ、方法が間違っているということになる。そうしたことが、正当化されるというようなことは問題外だ。
 本来ならば、「なるほど、そういう意味だったのですか。自分はこうだと思っていました。なるほど聞いてみるものですね。勉強になりました。」などと相手意識を持った対話姿勢が国際社会では特に必要だろう。そうした姿勢がなければ、国際社会では尊敬するに値しない存在となってしまう。それはあらゆる分野でマイナスになっていく原因となっていくだろう。隣国の日本としても、そうなっては困る面がある。しっかりしてほしいものだ。
 それにもかかわらず、朝鮮半島に住む人々は、「旭日旗」を軍国主義の象徴として日本人が使っているのではないということを説明したとしても、「当時の日本の軍国主義を思い出すから気にくわない」という理由で批判し続けるだろう。軍国主義から抜け出して先に進んでいるのに、批判し続けるというのは不当なことだ。
 お互い気に入らないこともあれば、気に入ることもある。人間関係と同じだ。それを乗り越えて、手をつないで頑張らないといけない世の中だということを、深く理解してもらうには、どのような歴史的体験を国レベルでしてもらうのがよいのだろうか。それは他国が与えるものではなく、自らが選択して味わうべきものでなくてはならない。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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